写真は鉄で出来ている。

撮らない豚はただの豚だ

通達056 「 8865レの秋山:冬曇りの単機運行 」

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「第2場内、進行。」

 あまり大きな声ではないが秋山はそう、口にする。

固く、くたびれたモケットに座る尻が窮屈さを感じているが姿勢を変えるのを身じろぎする程度に留めると、「ふんっ」と掛け声を入れながらノッチを戻していく。

夕刻に近い時間、重たく垂れこめた雲に包まれた冬空の下、秋山が乗務する愛知機関区のEF64 1027号機が停止位置へ合わせて停車させる。

思わず吐息が漏れる。終着の吹田の一つ手前の停車場である、京都貨物駅に着いた事で安心し、肩を上下し固まった筋肉を軽くほぐす。緊張が緩む瞬間。

 今日の仕業は単機なので普段よりは緊張の度合いも緩いのだが、それでも運転は気を抜けない。

 

 ブレーキが掛かっていることを再度確認し、空気を入れ替えるために左手の窓を少し開けた。

 2月の、冷たい古都の空気が緩んだ秋山の思考を刺激する。

 

 愛知機関区に集中配置されているEF64 1000番台と呼ばれる電気機関車

 JR貨物の所有する半数以上の機関車がJRに移行してから製造された所謂新型になっても、国鉄時代から継承された機関車はまだ現役で稼働し、今日もこうして仕業をこなしている。

 愛知機関区から週に2度、大阪の吹田機関区までを往復する仕業、B8865とB8864。秋山はこの仕業に従事する機会が最近増えてきた。

 

 新型のスッキリした運転席に対して、EF64の運転席は突き出したマスターコントロールハンドル、ノッチや各種スイッチが配置され圧迫感満載である。

 このスイッチやレバー類のどれ一つとっても不要なものはなく、メカメカした機器を一つずつ確認し手順を踏む操作、アナログ感が実は気に入っていたりもする。

 

 

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 秋山が社会人となって3年目に、それまで勤めていた会社からの転職を希望したのは些細なきっかけだった。

 当時、なんとなく見ていたテレビドラマの中で、脇役の俳優が言った「一度きりの人生なんだ、どうせなら人と違った生き方がしたい」というセリフが胸に刺さった。

 やりたいことがあって職に就いたわけではなかった秋山は、その時ふと、子供の頃にドキュメンタリーで見た鉄道の、それも貨物の機関士になってみたいと思ったのだ。

 

 中学で親しくなった友人に勧められ一緒に高校を受験し、高校時代に過ごした仲間たちとその後の進路を共有していた秋山にとって、就職は初めて自身の進路を周囲の影響を受けずに決める機会となった。しかし、結局は周りの様子を見ながら事なかれ的に選択し、結果は何の面白味もない毎日を秋山に提供した。そう秋山は感じている。

 

 前職を辞して機関士として独り立ちするまでに苦難がなかった、などという事は一切なく、というよりは苦難しかなかったのだが。それでも逃げ出す事なく試験を受けて難関を突破し、今の職に従事できているのは辛抱強い性格と同時に、新しい自分に変わりたい、という一念からだった。

 

 機関士の免許を取得して研修を受け、配属された愛知機関区で秋山は孤立した。

 それまで住んでいた地元を離れ初めての土地で初めての一人暮らし。不安はあったが希望の方が大きかった。難関を突破し夢を掴んだ、という自信があったのだろう。

 配属前に研修と講習をうける事で電気機関車ディーゼル機関車の運転については経験値も得ていたし、上からしかモノが言えない現業の先輩たちの不愉快な物言いに対しての反発心もあって、配属当初は生意気な発言が多かったと、当時を振り返ると少し恥ずかしい。

 配属された若手が少なく、尚且つ生意気な言動では孤立も当然だった。

 

 そんな秋山が初めて任された機関車がEF64という国鉄時代に製造された、角ばった車体にゴテゴテと配管が付いている機関車だった。

操作の原理は新型となんら変わらないハズなのに、新型とは丸きり異なる操作盤や明らかに重たいノッチ、無線が聞こえないくらい大きなブロワ―音などに驚き、パニックになった。

 諸先輩方は秋山の鼻が折れる事を見越していたのだろう、それまでの生意気な言動に対しての遺恨を感じさせない態度で(それでも上からな物言いに変わりはなかったが)接してくれた事で、自分の取っていた態度が思い上がりだったと知らされた。

 そこからは持ち前のひた向きさと謙虚さを発揮し、配属から短期間でEF64の運転を難なくこなせるようになったのは秋山の優秀さを示しているのだろう。

 諸先輩方も結果を出した秋山を一目置くようになり、居心地が改善されたのは喜ばしい限りである。

 若手は中央西線重連仕業で先輩の業を学びながら経験を積むことが多いEF64の勤務だが、秋山は一人でこなすB8865仕業に就かせてもらっているというのも信頼されている証左であろう。

 

 

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 腕に巻いた時計に目を落とし、ガラス窓の下に掛けてあるスタフと照らし合わせる。

出発の時刻に合わせEF64のモーターが回転数を上げる。

ブレーキ弁を緩め、シュー、シュー、と音を出して確認する。

機関車特有のブロワ―音が徐々に高音になり、出発の準備が整った。

 

ピヒィ!と短く警笛を鳴らすと、ゆっくりとEF64が滑り出す。

 

 ふと、愛知機関区を出発前、吹田の同僚から届いたLINEメッセージを思い出す。

「今晩泊りやろ?黒門の店いこ!たこ焼きで一杯どや?」

  さすがは大阪人、おつまみもたこ焼きなんだと可笑しく思ったのもつかの間、秋山の舌と胃袋は瞬く間にたこ焼きを欲する状態となってしまったのだった。

 

  秋山が初めて大阪でたこ焼きを食べたのはつい最近のことだ。もちろん、たこ焼き自体は子供の時分から食べていたし好きでもあった。ただ、好物か、と聞かれるとそれほどでも無いかなと答えてしまう。つまりは普通のおやつとして饅頭やお餅の仲間のような感覚で捉えていた。

 ご馳走したるわ!と言う吹田の同僚が、アーケードのあるにぎやかな商店街のメインストリートから少し外れた場末の大衆食堂のようなお店に入っていくのを見た時は、正直かなりがっかりした。本音を言うと、ケチ臭いものを食べさせられるのかと不安にもなった。AMラジオが流れる店内でたこ焼きと生中を注文した同僚を恨めし気ににらんだ事を思い出す。

 だが、出て来たたこ焼きを店内に据え付けられた4人掛けの席に腰掛け、一口含んだ瞬間、秋山の世界は驚愕とともに一変した。パラダイムシフト、という言葉は知っていても体験したと実感したのは初めてだった。

 そのたこ焼きは油で揚げているわけでもないのに外皮がパリパリと固く、しかしながら内側はとろけていた。とろけているとしか表現のしようが無い。小麦粉をベースとした「タネ」がまるで蜂蜜の様な甘さやとろみを持って内側に留まっている。

 パリパリ・とろとろっとした初めて味わう食感と共にソースの濃厚な味とタネの甘味に加えて強すぎないタコの弾力、そしてさりげない生姜の酸味。青のりの香り。食のハーモニーとはこういう事を言うのか、とその時秋山は真剣に感動していた。

 それ以降、大阪へ勤務でやってきた際には出来うる限り時間を作ってたこ焼きを食べる事に決めている。吹田の同僚もそれを知ってのメッセージであった。

 

 ここに来るまでの運転中は集中する事で何とか空腹を忘れていたものの、もはや思い出してしまってはどうしようもない。舌の上にたこ焼きのあの味を反芻した唾液が溢れ出そうになるのを堪えながら自分に言い聞かせる。我慢だ、集中だ、あと30分もすれば吹田に着く。

 

 ドドン、ドドンと重たい車体を響かせて京都貨物の短い鉄橋を渡る。

 

「そういえば、あの男性は今日もいるのだろうか。」

 

 進路上に見えてきた桂川橋梁。それを渡った先で左に大きくカーブする線路をイメージしながら秋山はふと思い出した。

いつも、B8865仕業に就いていて見かける男性。どんな顔なのか、年はいくつなのかはわからない。いつも同じ場所に立ち、秋山を、EF64を食い入るように見つめているであろう、あの男性。

 カーキ色のジャンパーに鼠色のズボンという出で立ちは、サラリーマンといった風情ではない。しかも平日の昼日中に佇んでいるのだ。

 

「第1出発、進行。」

 京都貨物駅構内最後の出発信号を確認しながら、もはや習慣と化している喚呼。ほとんど無意識で行いながらも秋山は考える。

 男性の容貌が不明なのは、秋山が見かける姿では常にカメラを構えているからだ。

 だから男性だという事はわかってもどんな顔立ちで、年齢なのかはわからない。

 

 鉄道マニアという人たちがいて、秋山の操るEF64にカメラを向けてくることは珍しくもない。時には駅のホームから身を乗り出すようにしてカメラを向ける人に警笛をお見舞いする事もある、どちらかと言うとあまり歓迎したくない危なっかしい人種だと思ってもいる。

 だがその男性は雨の日も、雪の吹きつける日も同じ場所で、同じ姿勢でカメラを構えている。秋山の乗務するEF64を真剣なまなざしで見つめているのだろう。

 いったいどんな人物なのだろうか、考えた所で答えが出ないまま、秋山の思考にその男性の存在が疼いていた。

 

桂川の人」

 同僚に男性の話をした所、そんな風に命名されてしまった。

「ただの定点観測員なんやろ、気にせんときぃな。」と訳の分からない事を言われたのを覚えている。

 今日も桂川の人はいるのだろうか、いや、きっといるのだろう。

 

 

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2017-02-18 第8865列車  西大路桂川

 

 築堤を駆けるEF64の窓から右手下側の道路に、通行人の邪魔にならないよう端に陣取ってカメラを構える男性の姿を秋山は捉えた。

 

「今日も居た…」

 わずか一瞬の交差であったが、安堵していた。信号や標識と同じ様な、あるべき所にあるべきもの・居るべき所に居る存在として。

 だからそれは秋山にとって極自然に湧き出た気持ちだった。ちょっとしたいたずら心から。誰も聞いていないから。そんな気持ちからつい。

 「桂川の人、しんこーう。」秋山一人しかいない運転席で、EF64の大きなブロワ―音に紛れながらも確かにその喚呼は紡がれた。

 言ったそばから気恥ずかしくなり、すぐに自分一人しかいない事に改めて気づき苦笑する。

 

 

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  吹田機関区構内は2月の木枯らしが緩く吹き、体感で0度近くまで冷え込んでいるのではないかと思ってしまう。

 

 吹田へと到着した秋山は脱いだ制帽を左手に持つと、結い上げた艶やかな黒髪を軽く撫でてから、運転席を立ち上がった。

 

 学生時代にベースを散々プレイしたにも関わらず、相変わらず細く長い指をタラップ の手すりにかけ、EF64から降車すると線路脇の犬走りへ降り立つ。

 遠目から、吹田の同僚が小さな体で思い切り手を振りながらこちらへと歩いてくるのが見える。

 今夜のたこ焼きが待ち遠しい。

 かしましく開かれる今夜の女子会に、

 脳裏をよぎるたこ焼きの香りに、喉がゴクリと音を立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、

この記事をご覧いただき、ありがとうございました!