この列車へご乗車いただき、ありがとうございます。
京都、奈良と申しますと全国各地から
観光客や旅行者が訪れております。
シーズンでは無くとも、京都の街中は
年中修学旅行生が歩いておりますし
市内のバスはいつも満員になります。
京都人はですから、移動は極力
バスには乗らない様気をつけて
いらっしゃるのだとか。
そんな市バスが全盛となる以前の
京都には、市電が路線網を巡らせて
いたそうでございます。
ワタクシの母親なんかはその昔、よく
利用したと聞かされました。
さて、今回の更新は広島電鉄紀行の
最終回となります、広電に所属する
京都市電車両に焦点を当てました
ご報告となります。
高知の土佐電と同様、ここ広電でも
各地でお払い箱となりました車両が
今も活躍を続けております。
この遠征では、そうした古株たちの
中から数の多い京都市電車両を狙った
撮影に取り組みました。
昨年(2020年)のお盆に遠征しました
事が出来ました。
が、今回は複数車両、しかもかつての
塗装のままで活躍しております。
かも川、と愛称板を掲出した1904号が
やって来ました。
かも川とは、京都市内を流れます
鴨川の事でございましょう。
慣例として高野川との合流点より
上流域は賀茂川などの表記になる為か
愛称板ではかもが平仮名となります。
河川法では鴨川と統一表記にて
明示されておりますから、鴨川でも
良い様に思えますが…
近づいて来ました。
前面窓に黒Hゴムが嵌っているのが
意外と目立つ様に思います。
また、屋根の冷房機器などが大きくて
フタコブラクダみたいに見えました。
暫く待っておりますと、折り返して
来ました1904号。
電停へ滑り込んで参ります。
電停へ停車する1904号をじっくりと
眺めさせていただきました。
オデコに二つ突き出た前照灯がまるで
カタツムリの目玉みたいに見えます。
電停を出発したシーンを、SSを落とし
背景をぼやかす意図で狙ってみます。
が、予想以上の低速で思った程の
効果は得られませんでした。
中扉の右側には京都市電の局章が今も
残されております点が嬉しい所。
塗装も京都時代のままですし
こうした配慮が広電の魅力で
ございますね。
続いては1905号、こちらは比叡と
愛称が付いております。
比叡、つまりは比叡山を指している
この呼称からも1900形にはそれぞれ
京都にゆかりの愛称が付けられている
様でございます。
深泥池、花洞山や清滝といった、少し
マニアックな名称も採用されていたり
すると面白いのですが。
続けてもう一度狙います。
1904号とは異なり、屋根に載る機器が
一つ少ないので表情が異なります。
むしろ1904号の屋根がレアなのか
他の車両も1905号同様に見えます。
今回の〆。
1908号が現れました。
愛称板にはあらし山、と書かれており
京都を知る身としましては違和感が
ございます。
嵐山を平仮名表記する意図は流石に
ワタクシにも判りません…
烏丸をからすま、と書くならば
判るのですが。
屋根の機器は1905号とは逆位置に
設置されております。
或いはどこかで方転でも
したのでしょうか?
オマケ。
1905号が交差点にて信号待ちをする
光景を、引いて撮影してみました。
すっかり広島に溶け込んでいる様に
思えます1900形。
実はこの形式、京都市電時代よりも
広電で活躍する期間の方が長いという
最早、エセ京都な風情をも感じさせる
存在でございます。
広島の皆様はこの車両を見て
京都を感じられていらっしゃるのか
気になる所でございます。
と、この様な具合で楽しみました
広電の撮影でございますが、この回で
終幕とさせていただきます。
丁度お昼の時間となりましたので
昼休憩を挟んで午後からは、別の
鉄道を被写体と致しました。
その模様は一旦、最近の関西ネタを
挟んでから再開させていただく
予定としております。
それでは、
この列車へご乗車いただき、ありがとうございました!