この列車へご乗車いただき、ありがとうございます。
開業から60年続きました伝統のオレンジが本日、遂に
その幕を下ろす事になりました。
残っておりました201系が引退する事となり、これを
持ちまして大阪環状線の車両は全てJR化以降に
新製された3ドア車両に統一される事となります。
201系が乗り入れるのでしょうけれど。
拙ブログでは生憎とラストランの撮影や最終前の運行を
撮影する余裕が無かったので、記事としては
扱いませんがちょこっとだけ前説で触れておきますね。
さて、今回の更新は長々と続きました四国遠征、後半の
高徳線紀行が最終回を迎える事となりました。
初日の夕方、翌日の朝とお天気に恵まれまして
良い撮影が叶い嬉しく思っております。
ただ、残念なのは日中の撮影時にキハ47形2連が来ず
未撮影となってしまいました点でございます。
単行運転が可能なキハ40形は最後まで残すそうですが
キハ47形については順次廃車になると聞いております。
徳島は以外と近いので、思い切ってまた出かけるのも
良いか、と思案しておりますこの頃…
折角ですので、2016年に出張で訪れた際に撮影して
おりました過去画像も引っ張りだしまして、今回の
彩として記事に添えたいと思います。
2016-06-04 キハ47 114他2両 佐古ー徳島
徳島駅前の踏切から、復刻タラコ塗装をその身に
まといますキハ47形を捉えました。
この写真もスマホ鉄時代の遺物でございます。
JR西日本では逆にこの色合いのキハ47しか
有りませんが、国鉄時代の風情漂う窓サッシのある
車体に、この塗装は最高の組み合わせでございます。
2016-06-03 キハ40形+キハ47形2両 佐古ー徳島
タラコ撮影の前日、同じ場所では3両のキハを
撮影しておりました。
構図の右端、後方には阿波池田方面からやって来ます
1500形の姿も見えます。
併設されておりまして、一見すると複線に見える
罠が仕込まれております。
朝ラッシュ時などは両線の列車が徳島を目指して
併走してくるシーンが見られるなど、面白い場所で
ございます。
今回の遠征ではこうした編成を吉成のロケーションで
撮影したかっただけに、心残りなのでございます。
この当時の撮影は、徳島に滞在した数日間、毎朝通って
「むろと」や「剣山」、1000形気動車4連などの
写真もあり、別立ての記事が出来そうなのですが
開陳はまたの機会にしておきますね。
2019-05-06 キハ40 2108+キハ40 2148 吉成ー佐古
第881列車記事でご報告致しました編成が、板野から
折り返しでやって来ました。
先頭はキハ40 2108でございます。
この時には薄く雲が広がりまして陽射しが少し
柔らかくなっておりました。
接近戦で狙いますとちょっと露出が厳しそうだと
思いまして、前回と同じく望遠構図で撮影します。
2019-05-06 キハ40形2両 吉成ー佐古
2019-05-06 キハ40形2両 吉成ー佐古
引いた構図でしつこく水鏡を試みまてみましたが…
畔と申しますか田の仕切りが線路のカーブに
合っておらず、鏡に写る列車は切れてしまいます。
この編成も第881列車記事にて撮影していましたので
今回は消化試合の様な気分で気楽に狙っておりました。
この撮影を持って今回の遠征は終了、鳴門海峡を
渡って本州へと戻る事となります。
2019-05-06 1500形1502 佐古―吉成(後打ち)
オマケ。
農道わきに停めた車へ戻って来た所で踏切が
鳴り出しました。
何が来るのかとカメラを再び引っ張り出し、
適当に構えておりますと、単行で1500形が
通過します。
サイドショットで仕留めてみた後打ち撮影が
ほんまの〆写真になりました。
述べ時間数で8時間ほどでしょうか、今回の
高徳線紀行も何カットかは納得の撮影が叶いました。
今ならまだ四国色のキハもそこそこ走っている事が
判り、今後の参考にしようと思っております。
次回が有るのであれば、未だ踏み入った事の無い
牟岐線などへ足を向けるのもいいかもな、と
考えながら帰路への車を走らせるのでございます。
それでは、
この列車へご乗車いただき、ありがとうございました!