この列車へご乗車いただき、ありがとうございます。
お小遣いをくれなきゃイタズラしちゃうぞ…
ウヒヒ…奥さん…ハァハァ
と、背後からカミさんに迫ってみた所、
チョ!何もう何!キモ!マジキモ!!と
本気で嫌がられてしまいました。
ハッピーハロウィン…⤵︎
最近の事でございます。
ブログ友さんの更新記事で秩父鉄道の車両を見たり
養老鉄道のTQ編成を撮影された方の記事を目にして
俄かにステンレス車両、それも初期製造となります
ボディにコルゲート板を付けた車両に
強く惹かれる様になりました。
関西で今も活躍するコルゲート車と申しますと
いう事になります。
そこで思い切って先の13日に南海の天下茶屋駅へ
向かい、撮影に挑戦してみる事と致しました。
コルゲート車はボディ側面の凹凸をしっかりと
写しとってこそ、でございますから陰影を意識して
夜間撮影とするべく、夕方に新今宮で201系を
撮影した足で天下茶屋へと向かう事と致しました。
さて、そんな訳で今回の更新は
我が国のステンレス車両黎明期から現在に至るまで
譲渡も移動も無く活躍を続けます南海高野線の主
6000系にスポットを当ててみたいと思います。
左の面打ちは6000系に続いて登場しました
6100系から改番となりました6300系、右は
元祖オールステンレス車両となります
6000系でございます。
編成を撮影しようとすると後ろから列車が滑り込み
この様なシーンも頻繁でございます天下茶屋駅。
それでもメゲずに挑戦致しまして、何枚かは真っ当な
撮影も出来ておりました。
トップナンバー編成でございます。
後方の編成番号は未確認でしたが、4+2+2の
8両で運行されておりました。
面白いのはオデコに設置されます前照灯の
ライト間のにもコルゲートが填められている点で
細かいなぁ、と思わず感心してしまいました。
続きましては急行運用に就く編成を捉えました。
こちらは4+4の8両となっておりました。
登場当時は無塗装で銀地の車体だった6000系も
他形式同様、今では南海のコーポレートカラーを
施されての活躍でございます。
伊豆急ではこの初冬に元東急車の無塗装時代を
再現するイベント企画があるそうで、南海さんも
そんな小粋な企みを実施してくれないかな、と
実は期待しております。
6013fの撮影では4+2の6両でございましたので
停止位置が手前になり少々慌ただしい撮影と
なりました。
莫大な利益を生んだ特許技術でございます。
製造、普及から約30年後の1962年になり、ようやく
我が国でも提携先の東急車両製造(当時)が
BUDD社の設計図をアレンジして生み出しました
この3形式はほぼ同時期に誕生しておりますので
オールステンレス3兄弟、といった所で
ございますね。
ステンレス車両はそれまでの主流であります
普通鋼に比べて錆びにくいという特性を持ち、
高価ながらコスパに優れた新素材という事で
ジワジワと普及を進めて参ります。
この時点で、車体の溶接による歪みを隠す
化粧板としてBUDD社譲りのコルゲートを付けた
姿がステンレス車両のスタイルでございました。
所が、東急車両の一社独占による技術不開示では
国鉄での受注に公平性が欠ける、という事で
1980年代に入り205系の大量受注と引き換えに
東急車両は製造技術を開示致しました。
これにより各メーカーで製造設備を導入し、
ステンレス車両が日本中に溢れかえる事となります。
この時には既にステンレス車両はコルゲート板を
填めるのではなく、ビードと呼ばれます側面に
数本の細いラインが浮き出る工法へと
変化しておりました。
現在では更なる技術の躍進によって、コルゲートも
ビードも用いないスッキリとした車体を
獲得しておりますのは、皆様ご存知の通り。
いつの間にやらスッカリと古株の証になりました
コルゲート板を填めたステンレス車両。
今後も各地で活躍します古侍たちの姿を
狙ってみたいと考えております。
製造開始から50年以上もの歳月を、廃車も出さずに
走り続けて来た6000系なのですが、先ごろついに
2023年までに6000系を一掃する、というお達しが
出されてしまいました。
また、つい先日には6035fが廃車となり、解体の
為に住み慣れた車庫を離れる模様もSNS等で報告が
為されております。
全車が解体される運命になるのか、東急や京王の
兄弟達の様に、何処かの中小私鉄線で余生を過ごす
チャンスが巡ってくるのか、6000系の今後に注目し
見守りたいものでございます。
それでは、
この列車へご乗車いただき、ありがとうございました!