この列車へご乗車いただき、ありがとうございます。
さて、今回の更新はいよいよ佳境に
入りました遠征記の第6回目となります
ご報告をお届け致します。
前回の記事はこちら
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その後、関西本線へ向かいました我々
でございますが、その目的は。
運用の都合上、本務機の前位にもう1両
釜が付き重連の様相を呈するお馴染み
8075レでございました。
前位には現在、ラッピングが施される
DF200-201が付きます赤熊重連。
後ろのタキは8084レと同じ編成ながら
牽引する釜が事なるだけでガラリと
印象が変わります。
待ち時間には様々な列車を撮影して
時間潰しに充てておりました。
快速みえもそのひとつ。
電化され本線を名乗りながらも単線で
何故か特急や快速は気動車ばかりと
なっております関西本線。
そこがワタクシには面白いのですが
ユーザーは近鉄に流れちゃいますね…
普電はご覧の通り、当時最新の形式と
なっておりました313系が走ります。
2連2本の列車が斜光線を浴びて走る
姿は中々に格好良いものですね。
ただ、頬骨が突き出たお顔だけ
もう少し何とかならんかったかな…と
惜しみます。
巻頭コマから引いた構図でもう一度。
我々が現着しましたのはかなり余裕が
ある時間でございました。
それでもショバには先客が10名ほどは
いらっしゃいまして、我々も隙間を
縫って構図を組んでおりました。
所が時間を追う毎に撮影者が集まり
最終的には80名近い人数に。
堤防に沿って林立する三脚や脚立は
前年のDD51引退8075レと変わらない
状況でございました。
赤熊重連も僅か1年で終了、という
そんな事情が盛況な撮影に
拍車を掛けたのでしょう。
DF200-223のタンカー列車。
もはや上り構図は黄昏れております。
祭りが終わり粗方の鉄さんは撤収と
なりましたが、我々は居残って更に
もう一つのネタを狙います。
それがこちら。
遠征の最後を飾りますのは211系。
今回の遠征でちょくちょく登場した
5000番台では無く、国鉄時代に配置
されました生粋の0番台となります。
パンタこそ今風な装いですが、屋根に
鎮座する蒲鉾や運転席と同じ幅の
助士席窓など、名古屋界隈でも貴重な
姿を仕留める事が出来ました。
この旅の〆。
引いた構図でもう一度狙いました。
香り漂うこの編成。
残念ながら昨年の改正で引退しており
過去帳入りとなりました。
こうして、ワタクシの無茶な遠征に
お付き合い下さった競馬氏をすっかり
疲弊させつつ、本遠征は全撮影を終了
致しました。
競馬氏はこの後、夜行バスで群馬へと
撮り鉄遠征にお出かけとの事。
最後に帰路で遅い昼食を摂って
打ち上げに代えさせていただきます。
ちょっとお値段高めでしたが、中々
美味しくいただきました。
競馬氏、お付き合いいただき
ありがとうございます!
大変充実した旅となりました。
それでは、
この列車へご乗車いただき、ありがとうございました!